About Us 三越伊勢丹グループについて

根本精神とあゆみ

根本精神とあゆみ

約350年息づくサステナブルな精神

私たちは、時代が変化する中、自ら変革することで幾度の困難を乗り越えてきました。
三越の歴史は、お客さま第一、変革への挑戦の積み重ねであり、「お客さまのために」という、創業より変わることのない“まごころの精神”が、その礎となっています。
また、伊勢丹も創業以来、「お客さま第一」の理念にもとづいた「創意工夫」によって、新しい試みに挑戦し、様々な時代背景のなか、衣食住すべてにわたって伊勢丹らしさを提案し続けてきました。厳しい環境を受け止めながら、社会や顧客ニーズの変化を先取りしてお客さまに豊かさを届け続ける、それが私たち三越伊勢丹グループのDNAです。
2023年企業理念の再整理を行い、新たな「三越伊勢丹グループ 企業理念」を制定しました。

三越伊勢丹グループ 企業理念

歴史に根差したサステナブルな精神
1673

三越の創業者である三井高利は、それまでの商習慣に捉われず、社会の変化によるあたらしい顧客層の誕生にいち早く着目し、現在ではあたりまえの商売の方法の数々を生み出しました。経済学者のP.F.ドラッカーは、著書の中で、三井高利が世界で初めてマーケティングを発明したと記しています。
三越の前身である越後屋創業当時、大店(おおだな)といわれる呉服店の販売方法は、得意先を回り注文をとる「見世物商い」と商品を直接持ち込む「座敷売り」で、裕福な商人や大名、武士の自宅に赴いて商売をしていました。支払いは年2回、盆と暮れ(8月・12月)と決まっていて、貸倒れや金利がかさむリスクを商品価格に上乗せして販売していました。そのため、人によって販売する価格が異なり、すべての人が平等に買物ができる環境にはありませんでした。
高利は、この制度を廃止し、店頭販売・現金決済・正札販売を基本とした「店前現銀掛値なし」を打ち出すとともに「小裂如何程にても売ります」を掲げ、反物単位でしか購入できなかった商習慣を改め、切り売りを可能にすることで、欲しい人が欲しい量だけ購入できる仕組みを作り上げました。
江戸時代において、町人という潜在顧客の関心ごとに対して革新的な手法で挑んだことで、顧客層の拡大を図り、現在ではあたりまえの、「誰もが同じ価格で買物ができる店」が世界で初めて誕生しました。三越伊勢丹グループのサステナビリティは、ここから始まったのです。

参考:P.F.ドラッカー著 上田惇生訳 『マネジメント 課題、責任、実践 上』ダイヤモンド社

お客さまの関心ごとを革新的に提案する
1904

1904(明治37)年、三越は、株式会社設立に際し、お取組先への案内状で日本初の百貨店の始まりを宣言します。翌1905(明治38)年1月2日には、全国の主要新聞紙上で「デパートメントストア宣言」を発表、すべてのステークホルダーに対して、百貨店誕生とともに、文化の振興を宣言し、ここから日本における百貨店文化の創造が始まったのです。1914(大正3)年には「スエズ運河以東最大の建築」と称される本店新館が完成し、現在の百貨店がもつ施設や設備を完成させていきます。建物の入口には、三越のシンボルとなるライオン像が据えられ、店内には日本初のエスカレーターをはじめ、エレベーターなどの最新設備とともに、休憩室や食堂、屋上庭園などを充実させ、西洋の文化に触れることができる東京の新名所として大きな話題となりました。また商品面でも、呉服だけではなく百貨全般を取り揃え、あらたに食品部・茶部・鰹節部・花部を設置するなど、近代百貨店としての形態を完成させていきます。
デパートメントストア宣言と同年には初の文化催事となる「光琳遺品展覧会」を開催します。「光琳図案会」を併催することにより、「見る楽しさと買う楽しさ」を両立させた、世界に類を見ないあたらしいビジネスモデルを確立させていきます。さらに、森鷗外を中心とした知識人による流行研究会「流行会」を発足させ、歴史に埋もれた文化を復刻し、商品に反映させるとともに、1907(明治40)年には新美術部を設立し、作家には作品を発表する場を、お客さまには気軽に美術に触れる機会を創出します。誰もが文化や芸術に触れ、見る楽しみと買う楽しみを両立させた、日本独自の百貨店はこうして生まれたのです。
当時から続く文化振興の取り組みは、現在、物産展や美術展の開催にとどまらず、グループの拠点を中心とした地域産業の活性化やあらたな商品の開発など、より地域に根差した形に進化しています。

あたらしい、豊かな暮らしの提案と、文化の振興
1923

東京を中心とする南関東一帯に、マグニチュード7.9の大地震が発生、家屋の倒壊とその後の火災によって、約30万戸が焼失、死者は10万人以上に及びました。当時の東京市において、全体の44%にあたる約3,465ヘクタールが焼失し、商業の中心地であった、日本橋・京橋・神田の3区は全滅したといわれています。江戸時代以来の市街地が焦土と化したことで、周辺地域へ移住する住民も多かったといいます。この大震災は、当時の社会と経済に深刻な打撃を与え、第1次世界大戦後の不況に追い打ちをかけるとともに、昭和初頭に至るまで影響を及ぼしました。
三越伊勢丹グループにおいても、地震後に発生した火災によって、三越日本橋本店および、伊勢丹新宿本店の前身である、伊勢丹神田店が焼失する大きな被害を受けました。伊勢丹は神田店のみで当時の資本金の約2倍を超える被害を被ったと記録されています。
このような状況にありながら、三越の重役会では、企業の存続を揺るがしかねない重要な決定を下します。「いかなる事情があるにせよ、当社に持ち込まれた商品に対して、商談が成立している・していないを問わず、申し出があった場合は全額支払いを行う。そのために店が再建できなくても致し方ない」。本店が壊滅した非常事態の下で行われたこの措置は、お取組先はもちろん全従業員に、改めて、ステークホルダーとの共存共栄による経営の在り方を再認識させました。これに刺激を受けた従業員一同は、自ら給料減額を申し入れ、それによって苦境に立った企業を救ったといいます。また、当時、大阪に拠点のあった三越は、あらゆる交通手段を使って生活に必要な物資を東京に運び、被災して日常品にも事欠くお客さまの生活安定のために、商品を供給し続けます。ステークホルダーの皆さまのお困りごとを、想像を超える手段で解決したことが、その後の企業の存続につながっているのです。

社会の復興と企業の存続を目指す共存共栄
1956

1950年代中頃、伊勢丹の店頭では、中学生ぐらいの少女たちが、子供服売場と婦人服売場を行ったり来たりしながら、自分に合う洋服を探している姿が見受けられました。当時の日本には子供服と婦人服しかなく、13~17歳の少女たちは、自分のサイズに合うものを苦労して探すか、母親の手づくりの洋服を着るしかありませんでした。アメリカではこの年代がティーンエイジャーと呼ばれ、ファッションのひとつのカテゴリーとして確立されていることに着目した伊勢丹は、子供服の延長や婦人服の小型版ではない、あたらしい既製服の開発が必要であることを確信します。この年代のライフスタイルと特有の体型を徹底的に研究し、ティーンにふさわしいデザインや、サイズを開発しながら、1956(昭和31)年の夏休みに合わせて、ティーンエイジャー向けのテスト販売を開始します。その後、洋服にとどまらず、アクセサリーや帽子、バッグ、ハンカチなどの雑貨に拡大し、ティーンエイジャーショップは「ファッションの伊勢丹」の基礎となっていきます。
一方、婦人服はイージーオーダーが全盛期を迎えていましたが、パターンが限られているため、顧客の注文に応えるには限界があり、「ぴったりと体に合わない」「出来上がるまで試着できないため、思っていたのと感じが違う」などといった声が上がっていました。このことから、伊勢丹は欧米で主流となりつつあった、オーダーのフィット感とイージーオーダーの簡易性を併せ持つ、既製服の時代が日本にもやってくることを予感し、「あたらしい既製服」を研究する部門として1957(昭和32)年、服飾研究室を新設します。研究を進めるにつれ、あたらしい既製服には、日本人の体型に合ったサイズの開発とサイズ体系の確立が重要であることを確信し、イージーオーダーの採寸データをはじめとした資料を分析することで、日本人の体型にフィットするサイズをパターン化していきます。アパレルメーカーや百貨店各社が独自にサイズを開発し、規格が統一されない課題がありましたが、髙島屋、西武百貨店と合意し、1963(昭和38)年、サイズ統一に関する共同記者会見を行います。その後3社によるサイズ体系統一が「百貨店統一サイズ」になっていったのです。さらに既製服を浸透させるために、サイズ開発に力を入れ、1968(昭和43)年には大きなサイズのレディークローバーショップを、1969(昭和44)年には小さなサイズのストロベリーショップを開設します。どちらも独自の工夫によるサイズ展開を行うことで、既製服を通じて、誰もが自由にファッションを楽しめる土台を創ったのです。
今日では、ファッションは洋服という枠を超え、より自由に、生活を楽しむためのものとして進化を続けています。三越伊勢丹グループは、ファッションの力を通じて、誰もが自分自身の個性を愛し、多様な個性を尊重できる世の中を、すべてのステークホルダーの皆さまとともに創っていきたいと考えます。

誰もが自由にファッションを楽しめる土台を創造
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